(2005年4月9日)
山城跡の障子ヶ岳へ |
4月9日(土)、平尾台の貫山を計画していたが、山火事で登山道が通行止めとのニュースに急遽、障子ヶ岳(勝山町)へ変更。ガイドブックを頼りに仲哀トンネルを抜け登山口に行くが、霞か黄砂か、どんよりとした曇り空で全く山の姿が見えない。標識をたどり登っていくが、急勾配の連続に汗がにじむ。 山頂らしき容姿に着いたと思ったら、また先に山と何度か繰り返し広い台地に到着。この山は昔、足利尊氏の命により山城が築かれ、度重なる戦乱を経てきたが家康の「一国一城令」で廃城となり、今は岩跡「牙城跡」と呼ばれ、北の丸、二の丸などの跡が標示されているが、全く急峻な山城であった。 帰りに仲哀公園で満開の桜を楽しみ、伊川のラドン温泉で汗を流し帰る。参加9名 (藤井哲夫) |
JR大野城駅に午前7時30分集合。3台の車で出発。
途中1台と合流して合計4台。会員は9名ですが舞鶴山岳
会の人も参加され総勢16名で登りました。
京都郡勝山町の仲哀公園に車を停め満開の桜を眺めな
がら出発しました。
(09:24 ←撮影時の時間)
車道を暫く歩き、やっと登山道に出ました。
障子が岳城と書かれた門が有りました。
山頂にはかつて足利尊氏の一族、統氏によって築かれた
山城が有りました。
小早川隆景を経て、添田氏の時代に黒田如水、長政親子
に抗して没落、城は取り壊されたと伝えられます。
秀吉の九州出兵の折りには宿舎とされたとも言われていま
す。 (10:28)
山頂付近に来ると流石に山城の雰囲気を感じさせます。
馬場跡や二の丸跡の標識が有りました。
(10:56)
やっと山頂に着きました。
ガスっていて眺望は利きません。
(10:58)
山頂の本丸跡で昼食です。
あんまり風が無かったので幸いでした。
(11:28)
↓昼食後の記念写真です。(11:32)
記念撮影が終わると下山開始です。
晴れていたら気持ちがいい山だろうなと思いました。
(11:47)
朝見えなかった障子ヶ岳の姿が麓に降りてくると見えて
きました。
(12:32)
車を停めていた仲哀公園には午後1時過ぎに戻ってき
ました。
登山のあとは伊川温泉のこうの湯温泉で汗を流しました。
丁度いい湯加減で疲れが取れました。(原田)
(16:46)