(2004年3月8日)
3月8日、午前11時半過ぎ自宅を出て、歩いて近く
の山に向かった。以前は山腹の高津神社までは登
った事が有るのですが山頂までは行ったことが有り
ませんでした。この前、緋寒桜が咲いているのを写
しに行った時、岩門城趾の標識が有ったので、いつ
か登って見ようと思っていました。
高津神社への石段が続いている場所に着きました
が、岩門城趾への標識は左側を示していました。
案内板には岩門城趾の謂われが書いて有りました。
鎌倉時代に起きた2度の元寇の際には、博多・太宰
府を守る重要な拠点となっていたそうです。
元寇の役で日本軍の総大将として活躍した少弐景資
は、その後、兄の経資と対立し、この城で最後を遂げ
ました。
三の丸跡、二の丸跡と過ぎ、本丸跡に着いても何に
も残ってはいません。
只、途中、敵の侵入を防ぐ為の空堀らしきものは有
りましたが。
本丸跡から少し北に歩くと見晴らしのいい場所に出
ました。
なるほど、ここからだと博多湾まで一望できる。
ここに山城を造った理由が判ったような気がした。
帰りに山腹の高津神社に寄りました。
ここには、高津正一位稲荷(豊宇気昆売神-同じ町
内の伏見神社本宮から頓宮される)、原田種直(岩
門城主-龍神山)、高津権現(原田家の守り神-糸島
郡前原町八幡神社の熊野権現様から分配された)の
三柱が祀られている。
昔、亡くなった父が、「原田家の系譜」と云う本を買っ
て、ここも先祖のゆかりの地だと言っていましたが、
ほんとかな?
まぁ、私の苗字も原田ですから、因縁の地に舞い戻って来たかも知れません。何か不思議な感じもします。