(2005年12月6日)
12月6日、松九会の第31回歩こう会に参加しました。
今回のテーマは、実感!対外交流の中心地「太宰府」
「歩く」+「学ぶ」+「年忘れ」で本年最後の歩こう会です。
集合は西鉄二日市駅(東口)に午前10:00。
いつものように参加者は多く60人以上います。
朝から雨が降っていましたが、山登りとは違い、すぐに
中止にならないのが歩こう会です。
皆さん、雨やみぞれの中を傘をさして進んでいきます。
まず桜町の般若寺跡に寄りました。
住宅地の中に有ります。
近くに七重石塔も有ります。
世話人の野田さんが説明してくれます。
立派な七重石塔です。
白雉(はくち)5年(654)、飛鳥時代に初代の筑紫の大宰師蘇我日向臣
無耶志(むさし)が現在の筑紫野市塔の原に建立、その後この桜町の
台地に移転したと言われている。
この塔も塔の原から持って来たものだろう。
菅原道真公には23人の子供がいたと言われているが
その中の幼い女児「紅姫」と男児「隈麿」だけは筑紫に
同伴を許された。
しかし長い旅と厳しい生活環境の中で幼い弟は病にかか
り翌年急死する。
その隈麿の墓です。
道真公が亡くなったあと、幼い紅姫は土佐にいる兄のもと
に身を寄せたそうです。
宇多天皇の右大臣として仕えていた菅原道真公は、左
大臣の藤原家の流言により、宇多天皇のあとを継いだ
醍醐天皇により筑紫の国へと左遷されてしまいました。
このあたりに大宰府の南館(筑前国の役所)があり、
道真公はその役所の次官のような存在だったそうです。
この地で亡くなり「浄妙寺」が建てられました。
昔、境内には榎の大樹があったので、いつの頃からか
榎寺と言うようになったとの事です。
でも建物は神社風で「榎社」とも呼ばれています。
道真公にまつわるいろんな話を聞かせて貰いました。
そばに小さな社があります。
菅原道真公の命の恩人と呼ばれる「もろ尼御前」を祀っ
ています。
道真公に食べ物を与えてはならぬというお達しに背いて
梅の枝に餅をつけて「これは梅の花です」と渡したそうです。
これがこんにちの「梅ヶ枝餅」の由来となっているそうです。
太宰府天満宮の近くまでやって来ました。
参道から少し外れて「太宰府館」に寄りました。
「太宰府館」の大ホールで詳しい資料をもとに説明を
受けました。
最近定年退職され、今回から歩こう会に参加された人
も紹介されました。
説明が終わると各人参道近くの食堂に行って昼食です。
私は境内の「無料休憩所」に入って弁当を食べました。
それから太宰府天満宮にお詣りをしました。
「二礼二拍手一礼」と書いてあるのでその通りにしました。
さる10月16日に開館した「九州国立博物館」の前の
「復元古代船」の前に午後3時20分に再集合です。
博多山笠の展示や「美の国日本」の展示は終わっていま
したが常設の「海の道、アジアの路」は見学出来ます。
見学を終え、送迎バスで国民年金健康保養センター
「太宰府」に向かいました。ここで宴会です。
宴会には47名参加です。
「歩こう会」の世話役の人たちの挨拶です。
乾杯の音頭でいよいよ宴会の始まりです。
懐石料理と飲み放題です。
特別に、タオルも付けて貰って無料で入浴出来るよう
になりました。
途中で宴会を抜けて温泉に入る人もおります。
私はある程度食べて一番に温泉に浸かりに行きました。
帰ってきたら鍋が冷えて汁が無くなっていました。
宴もたけなわ、いろんな話に花が咲きます。
時間もだいぶ過ぎたので、来年の健闘を祈っておひらき
です。
来年は2月に「田原坂」、4月に「篠栗」の予定です。